2018-03-20 第196回国会 参議院 文教科学委員会 第2号
同校ではオリンピック・パラリンピック教育を推進しており、パラリンピアンとの交流行事等を通じ、障害者に対する理解が深まったこと、障害者との交流の機会を一層確保する必要があることなどについて説明を伺いました。 二〇二〇年の東京大会に関連する全学年の授業を参観いたしましたが、生徒が自分たちの意見を積極的に発言している様子が特に印象に残りました。 次に、国立大学法人福島大学を訪問いたしました。
同校ではオリンピック・パラリンピック教育を推進しており、パラリンピアンとの交流行事等を通じ、障害者に対する理解が深まったこと、障害者との交流の機会を一層確保する必要があることなどについて説明を伺いました。 二〇二〇年の東京大会に関連する全学年の授業を参観いたしましたが、生徒が自分たちの意見を積極的に発言している様子が特に印象に残りました。 次に、国立大学法人福島大学を訪問いたしました。
そしてまた、隣国、中国との間に、日中平和友好条約締結からちょうど四十周年ということで、多くの文化交流行事が控えていると伺います。 フランスやロシア、中国といいますと、ゆかりの場所というのは全国に数多くあるかと思います。身近なところで、私の地元でも、例えば、飯田橋や神楽坂はフランスゆかりの町ですし、これまでも百貨店とコラボしてフランス・フェアということを何回か開催されていたことがあります。
あるいは、市民の皆様とも多くの交流行事を行ったり、ビジネス面でも市内企業との機会の創出を促進して、最近聞いたんですけれども、ある横浜市の職員さんによれば、今や日本で一番アフリカに近い都市になったというふうに言っていました。
昨年、日メコン交流年として、政治、経済、文化、観光など幅広い分野における交流行事を実施しており、十二月には日メコン女性議員会議に小宮山委員には団長として参加をしていただきました。昨年十一月には初の日本・メコン地域諸国首脳会議を主催したところでございまして、引き続きメコン地域との協力関係を深化させていきたいと思います。
また、日韓両政府は、今年、国交正常化四十周年ということで、日韓友情年二〇〇五年ということを定めて様々な交流行事が企画されています。これを機会に日韓の文化交流というのが政治や経済面でも密接な協力関係に広がっていって、やがて日韓が中核となった東アジア共同体の基礎が築かれていくことを期待したいと思っています。
このような交流行事によりまして地域住民との相互理解を深めることは、実社会に近い環境のもとで矯正教育が実施できるという点で、教育活動の幅が広がりまして大変意義深いものと考えております。
東京で日本側関係者との交流記念式典を開催するほか、全国各地に分かれて旅行され、交流行事をなさる。一方、本年九月に、日本全国から一万人程度の方が中国を訪れる。一万人規模で植林もしよう、そして交歓をしよう、こういうようなことも計画をされております。
地元水俣市では、恐らく市民との交流行事なども行われて、充実した内容にしたいということで今準備しているようでございまして、環境庁といたしましても積極的に支援してまいりたいというふうに考えております。
両都市において、アジア太平洋における日米の協力や今後の日米関係に関する演説を行ったほか、シカゴ大学の学生との懇談など米国民との交流行事を行い、日米関係のすそ野の拡大を図りました。また、ワシントンにおきましては、米国の財界人や日本滞在経験を有する米国人青年等の日米交流関係者とも懇談し、多様な分野の多くの米国の方々とお会いいたしました。
両都市において、アジア太平洋における日米の協力や今後の日米関係に関する演説を行ったほか、シカゴ大学の学生との懇談など、米国民との交流行事を行い、日米関係のすそ野の拡大を図りました。また、ワシントンにおきましても、米国の財界人や日本滞在経験を有する米国人青年等の日米交流関係者とも懇談し、多様な分野の多くの米国の方々とお会いをいたしました。
調査結果を見てまいりますと、地方団体の国際交流事業といたしましては、姉妹、友好団体との交流が依然主流とはなっておるわけでございますが、特徴のある傾向といたしましては、一つには国際交流施設の整備が進みつつあること、二つには地域の活性化を目指した国際交流行事の積極的な誘致、開催が図られていること、三つ目には外国人にとりまして暮らしやすい地域づくりへの対応が図られつつあること、四つ目には国際交流の担い手としての
その間を通じまして、まず、フレッシュマンセミナーとしては、大学及び大学生活案内、二番目には教育課程及び履修方法案内、三番目には文化講演及び各所の見学など、また第二には共通科目その他適当と認められる科目の入門指導を行なう、さらには、第三には学生及び教職員等の交流行事を行なう、第四には体育活動その他を考えていくということでございまして、これらのセミナーを終えましてから、一たん五月の十五日ごろには帰京して